11月の卓球練習日

 後2ヵ月でお正月、気の早い巷では歳末ギフトのカタログを配布しはじめた。また忘年会の予約受付けをはじめた店もある。最近はこの商業ベースの影響で季節感が狂ってきた。まだまだ今年が暮れるまでには62日もある。人生、生まれたときから終焉が来ることは約束されている。だと言ってそんなに先を急ぐことは無い。

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◎11月の卓球練習日は{水}:(金):(土)の週3回。但し ※7日は休み。 ※また13日(土)と27日(土)の両日は12時開始です。お忘れなき様。それ以外の水金土はすべて9時開始です。

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 気温低下と共に筋肉の柔軟性が低下しますから、試技前に十分準備体操・ストレッチをしてください。

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秋は天高く}馬肥ゆる時

 暑さ激しく、食欲減退の時も既に過ぎて、秋は食欲の時、味も香りも食欲をそそるものばかり、意識しなくても気が付いた時には体重計の針の触れに驚くときである。

 前に述べたこともあるが、「天高く馬肥ゆる」とは人が食欲の儘に食して太ると言うのではないことはご承知の通りである。

 この「天高く馬肥ゆる」には絶世の美人が辺境の地に不本意ながら輿入れした悲劇が隠されていた。

 話は中国(漢土)の遠い昔の事、万里の長城に象徴されるように、漢土は北方遊牧民族、匈奴の侵攻に常に苦しんでいた。草原が青々とした夏が過ぎ、馬は肥えて元気になる。その馬に跨った匈奴の兵士が漢の辺境に侵入して、略奪をほしいままにしてた。馬肥ゆるとはこの災難がまた来ることを意味している。

 漢はこの災難を逃れるため、懐柔策として食物や衣類を提供し、時には女性もその中に入っていた。 ある時、匈奴の王が漢王朝と姻戚になりたいと皇女との婚姻を望んできた。

 そこで漢王は宮内でも比較的不器量な宮女を皇女と偽って嫁することにして、画士に似顔絵を書かせ、それを見て選別することにした。

 誰でも辺境の蛮族に嫁ぎたくないのは人情、画士に賄賂を贈って、事実より美しく書いてくれるよう頼んだ。しかし容貌に自信のある王昭君は画士に賄賂を贈らなかっため、不美人に画かれ、匈奴に嫁ぐ羽目になった。漢王は別れの挨拶に来た王昭君の美貌を見て驚いたが後の祭り、画士を打首としたとか。

 王昭君は匈奴王妃として優遇され王子をもうけてが、ただ匈奴王が死んで、その子が王位についたとき、自動的に王妃は新王の妻となる仕来りであった。先王の財産は新王がすべて引き継ぐのである。即ち妻は財産の一部という事になる。

 尤もこの話は紀元前の話で現在はこの様な風習があるかどうか知らない。またチベットの奥地では一妻多夫や多妻一夫の風習もあったと聞く。例えば男3人いる家では長男が嫁をむかえ、他の二人は兄嫁と性の処理を行う。また娘三人の家では長女が婿を向かえ、他の二人の娘はその婿と性を行っていたそうだ。

 これは耕地が狭く、家畜も少ない辺地では、各自に嫁婿をとっても分家して財産分けするほど財産が無く、苦肉の策として生まれた風習のようだ。

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神無月と神有月

 神無月は本来陰暦での呼称で、陽暦の10月を神無月というのは暦的には誤りである。事実出雲大社に集まった八百万の神々を祭る神在祭は11月26日(陽暦10月10日)におこなわれる。出雲に参集した神々はその配下にある氏子の縁組について相談し、それぞれに紅い糸をつけてカップルを決めるとか。

 でも最近は神様も神通力を失い、縁結びの神意に反し、新婚旅行の途上離婚話が持ち上がったり、神様の結んだ紅い糸が気に入らないと婚期を逸して独身生活を送っている男女も少なくない。

 この様に神の意にそむく者もいれば、沢山の神々がおいでになるから、中には自分の願いを聞いてくれる神様もいるのではないかと、正月の初詣より多い参詣者があるそうだ。

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 那珂川上流の秋

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齢 86にて

 86歳、2009年10月11日の日曜日が丁度86年前にこの世に生をうけた私の誕生日」である。

 大正12年と言えば関東大震災の年、震災の翌月に生まれたわけである。生まれた地は三河の新城、織田徳川連合軍が武田騎馬隊を殲滅したと言う長篠古戦場の近くの地である。

 町は近隣農村の消費地で当時の町中は未舗装の道路が続き、風が吹けば埃が家の中まで吹き込んでくる始末であった。

 近隣農村へ物資を運ぶ手段には多く馬車が使用されていたから、引き馬の落とす糞も多少その埃な中に混じっていたのではと思う。    (家の前に落とされた分は直ぐ始末をされたようではあるが)

 6歳の頃幼稚園に走るが、通園は先生が手分けをして町外れから園児を集め幼稚園まで2列に並んでいった。

 通園の服装は着物に下駄または草履、袖の付いたエプロンに丸い弁当箱を毛糸で編んだ福利に入れて肩から下げ、胸には長方形にたたんだハンカチを安全ぴんで留めてさげていた。

 園内では今の幼稚園のように文字などは教えず、お遊戯と歌、それに折り紙などで過ごすのが主であった様に記憶くしている。

 早稲田の政経を出た釣り好きの叔父が同居していたので、幼い頃から川に出かけた。そのせいで未だに釣り好きで、遠くは西、播州赤穂、紀州田辺、東は松島、相馬まで足を伸ばした事がある。釣りに専念して、街中の観光は皆無であった。田辺などは滞在期間7日を2回、さすがに2回目は那須一帯の観光も合わせ行った。

 86回目の誕生日に際し、思い出すことを少しばかり記してみた。

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朝霧

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季語雑感:神無月

 秋は実りの時

 野山の草木は実をつけ、田畑も作物の収穫を終える。戦前十月十七日は新穀を神に奉納する国民祝日の神嘗祭であった。戦後は国民の祝日に関する法律で祝日でなくなり、宮中と伊勢神宮でのみで行われる行事になった。

 食欲の秋

 また、実りの秋は食欲の秋。残暑も終わり涼風と共に体調は絶好調、目に入るものは食欲をそそる物ばかり。しかし皮肉にも世はダイエットばやり、そこで金をつかって太り、金をかけてやせる努力となる。             しかし多くは徒労に終わる。「後の後悔、先にたたず」の最たるものである。

 秋は夕暮れ

 過食の後悔は後にしてこの月の季語は「秋の空、秋の暮、秋の雲、秋の野、秋のこえ、秋の雨」などなどあまた沢山ある。中でも「秋の暮」は清少納言が枕草子の冒頭の段に「秋は夕暮れ、夕日華やかにさして、山の端いと近くなりたるに、烏の寝所へゆくとて、三つ四つ二つなど、飛び行くもあわれなり」とある。

 昨今の烏は三つ、四つ、二つどこるだはなく、東の空が明けやらぬうちから大挙して飛来、ゴミ袋の残飯をあさる様はどうしてどうして、「あわれなり=趣きある」などと言うには程遠いものである。 

 しかし江戸時代には烏の数も少なく、葉の落ちた枯れ枝にポツンととまっている姿が旅人芭蕉の心に「もののあわれ」を感じさせたのであろうか。

  「枯れ枝にからすとまりおり秋の暮れ」  の一句をのこした。

 秋の食材:松茸

 秋の食材でもっとも旬なるものはなんと言っても「松茸」天は値の安い輸入品もあるが味、香り共にいまいち、と言って美味な国産品は万札を食べているみたいで手が出ない。

 新酒で一杯

 また秋は飲兵衛に嬉しい新酒の季節、酒は百薬の長をお題目に、白居易の詩に倣い「林間に紅葉をたいて酒を温める」風流もよし。また過ぎた十五夜をしのんで後月(ノチノツキ)を眺めながら一杯やるのもまた良しとす。

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   彩暮 

http://blog.goo.ne.jp/vintage411  

(一人よがりの写真展もご覧ください)                           

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久しぶりの好天に

 このところの雨、秋雨前線が居座っているせいとか、でも幸いに中秋の名月は見られたし、あくる日も晴天、久しぶりに屋外にと、車を駈って三浦半島先端三崎に出かけた。

 目的は魚釣り、大物は望むべくも無いから勿論小物つり、三崎港について港内を一巡するも、ハマチの生簀が多いためか、思いのほか水質悪く、釣り人の魚篭の中に魚の影も見えないので、少し車を走らせて近くの小さな入り江で竿を出すことにした。

 はじめから小物つり用の短竿、仕掛けをおろすも当たりなし、暫くして潮が動きだし、ヤット当たりが出始め、10センチにも届かない海タナゴがかかる。(放流)

 次にきたのは30センチの赤目ふぐ。あまり有り難くないお客さまではあるが、引きが強く、しばしヤリトリを楽しむ。この赤目ふぐは猛毒魚、陸に暫く置いた後、海にお帰りねがった。その後も3度ばかり同様のふぐがかかる。

 当日釣り上げた魚で持ち帰ったのはベラ6匹、この魚は関東では食べる習慣がないが、関西では魚屋の店頭に列べられておる。色があくどく、見た目はいまいちだが、食べてみると非常にうまい。ただあまり大きくなる魚でないから、サバクには多少めんどうである。

 帰りは4時に納竿したのに日曜日のせいで渋滞、帰着は6時となった。

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 針掛りした赤目ふぐ :ウラめしそうな顔

 

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中秋の名月

 今日は10月3日、旧暦で言えば丁度8月15日、十五夜中秋の名月の日である。

 東洋人は月をこよなく愛し、漢詩、和歌、俳句の題材として名詩名句が多く詠まれている。

 さて、月を愛ずる行事が盛んになったのは何事も派手好きな江戸時代からで、シンミリと月を愛ずるより「月待ちの宴」を開いたり、大川端で花火を挙げて派手に楽しんだと言うことだ。 また、9月13日(新暦10月30日)十三夜の月も十五夜の月と同様に楽しんだ。何れか一方だけ楽しんだのは「片見月」と言われて無粋な者とされた。

 色町通いの男は十五夜に上がったら、必ず十三夜に裏を返さなければ無粋な旦那として蔑まれたそうだ。いずれの時代もモテヨウとすれば、お金のかかることは同じである。

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10月の卓球合同練習日

10月の卓球練習日は下記の通りです。初旬は秋雨の影響で蒸し暑い日がありますから、体調維持には十分お気をつけください。

 10月3日(土) 9時 開始(ミニバス)

     7日(水) 同上

     9日(金) 12時開始

    10日(土)  9時開始

    14日(水)  同上

    16日(金)  同上

    17日(土)   休み

    21日(水)  9時開始

    23日(金)  12時開始

    24日(土)  9時開始(ミニバス)騒音甚だし

    28日(水)  同上

    30日(金)  同上

    31日(土)  同上

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韓流ドラマを見て

 いま韓流ドラマの放映が大流行、BS11局など一日に何本も放映している。時代物は青銅器時代から現代物まで画面の展開が速く、見ていて飽きさせない。

 特に気が付いたことは現代物では作為的かどうか知らないが、儒教の五倫の思想が所々にでてくることだ。

 五倫とは義・親・別・序・信の五つである。義は忠義を意味するが、現在はTV大河ドラマ「天地人」でいう信義である。従って最後の信と同じ意味となる。君主に忠、国に忠など今は死語に近くなってしまった。

 親は父母に親愛の情を持って仕えること、早い話が親孝行をしなさいということである。 別とは夫婦の関係、本来の意味を言うと女性の逆鱗に触れそうだからあえて触れないことにする。

 序とは長幼の序、年上と年下の序列、要するに年上の者を敬えと言うことである。年上の火手に「タメ口」をきくと直ぐ窘める画面がでてくる。  信は朋友の信、信とは真心で朋友と付き合うこと。要するに友を裏切らないことである。

 話が堅くなったが、韓国のドラマを見ていると、「親孝行、年長者」と言う言葉が度々出てくる。年長者にこれを逆に考えれば、韓国でも日本の現状と同じように古くからの道徳観が失われてきたからであろうか。

 日本でも大正デモクラシー華やかな頃、旧来の道徳感が薄らいたのを嘆き、大正12年衆議院協賛により漢学専門の学校が設立された。当初は学生全員が給費生で優秀な学生が集まったが、次第に戦時色が強くなった頃給費制度は中止になったことがあった。

 韓国は今でも儒教信奉の国と言われている。しかし若者はこの道徳感に反発を感じているようだ。

 儒教の教本、論語は孔子の教えを死後弟子たちが編纂したものであるが、その論議は理想主義的で生存中は世に容れられなかった。同じ系統でも孟子の方は比較的現実的であった。

 こんなことを書いて何が言いタイにか、年寄の愚痴と読み流すもよし、戯言と笑い飛ばすも又よしとする。

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我が家のペット

 2年目です。病気にかかったら初期治療、薬症状にあわせて3種用意。週末に3分の2換水。小物でも中々手がかかります。

 初代は長期旅行中に白点病にかかり死亡。

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東錦: 2年と3年もの

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