暑さ激しく、食欲減退の時も既に過ぎて、秋は食欲の時、味も香りも食欲をそそるものばかり、意識しなくても気が付いた時には体重計の針の触れに驚くときである。
前に述べたこともあるが、「天高く馬肥ゆる」とは人が食欲の儘に食して太ると言うのではないことはご承知の通りである。
この「天高く馬肥ゆる」には絶世の美人が辺境の地に不本意ながら輿入れした悲劇が隠されていた。
話は中国(漢土)の遠い昔の事、万里の長城に象徴されるように、漢土は北方遊牧民族、匈奴の侵攻に常に苦しんでいた。草原が青々とした夏が過ぎ、馬は肥えて元気になる。その馬に跨った匈奴の兵士が漢の辺境に侵入して、略奪をほしいままにしてた。馬肥ゆるとはこの災難がまた来ることを意味している。
漢はこの災難を逃れるため、懐柔策として食物や衣類を提供し、時には女性もその中に入っていた。 ある時、匈奴の王が漢王朝と姻戚になりたいと皇女との婚姻を望んできた。
そこで漢王は宮内でも比較的不器量な宮女を皇女と偽って嫁することにして、画士に似顔絵を書かせ、それを見て選別することにした。
誰でも辺境の蛮族に嫁ぎたくないのは人情、画士に賄賂を贈って、事実より美しく書いてくれるよう頼んだ。しかし容貌に自信のある王昭君は画士に賄賂を贈らなかっため、不美人に画かれ、匈奴に嫁ぐ羽目になった。漢王は別れの挨拶に来た王昭君の美貌を見て驚いたが後の祭り、画士を打首としたとか。
王昭君は匈奴王妃として優遇され王子をもうけてが、ただ匈奴王が死んで、その子が王位についたとき、自動的に王妃は新王の妻となる仕来りであった。先王の財産は新王がすべて引き継ぐのである。即ち妻は財産の一部という事になる。
尤もこの話は紀元前の話で現在はこの様な風習があるかどうか知らない。またチベットの奥地では一妻多夫や多妻一夫の風習もあったと聞く。例えば男3人いる家では長男が嫁をむかえ、他の二人は兄嫁と性の処理を行う。また娘三人の家では長女が婿を向かえ、他の二人の娘はその婿と性を行っていたそうだ。
これは耕地が狭く、家畜も少ない辺地では、各自に嫁婿をとっても分家して財産分けするほど財産が無く、苦肉の策として生まれた風習のようだ。
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