爺さんの言いたい放題

韓流ドラマを見て

 いま韓流ドラマの放映が大流行、BS11局など一日に何本も放映している。時代物は青銅器時代から現代物まで画面の展開が速く、見ていて飽きさせない。

 特に気が付いたことは現代物では作為的かどうか知らないが、儒教の五倫の思想が所々にでてくることだ。

 五倫とは義・親・別・序・信の五つである。義は忠義を意味するが、現在はTV大河ドラマ「天地人」でいう信義である。従って最後の信と同じ意味となる。君主に忠、国に忠など今は死語に近くなってしまった。

 親は父母に親愛の情を持って仕えること、早い話が親孝行をしなさいということである。 別とは夫婦の関係、本来の意味を言うと女性の逆鱗に触れそうだからあえて触れないことにする。

 序とは長幼の序、年上と年下の序列、要するに年上の者を敬えと言うことである。年上の火手に「タメ口」をきくと直ぐ窘める画面がでてくる。  信は朋友の信、信とは真心で朋友と付き合うこと。要するに友を裏切らないことである。

 話が堅くなったが、韓国のドラマを見ていると、「親孝行、年長者」と言う言葉が度々出てくる。年長者にこれを逆に考えれば、韓国でも日本の現状と同じように古くからの道徳観が失われてきたからであろうか。

 日本でも大正デモクラシー華やかな頃、旧来の道徳感が薄らいたのを嘆き、大正12年衆議院協賛により漢学専門の学校が設立された。当初は学生全員が給費生で優秀な学生が集まったが、次第に戦時色が強くなった頃給費制度は中止になったことがあった。

 韓国は今でも儒教信奉の国と言われている。しかし若者はこの道徳感に反発を感じているようだ。

 儒教の教本、論語は孔子の教えを死後弟子たちが編纂したものであるが、その論議は理想主義的で生存中は世に容れられなかった。同じ系統でも孟子の方は比較的現実的であった。

 こんなことを書いて何が言いタイにか、年寄の愚痴と読み流すもよし、戯言と笑い飛ばすも又よしとする。

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鳩山内閣発足とその取材風景

 恥ずかしくありませんか

 新議員が初登庁の朝、最初に映し出されたのは衆議院の門柱にもたれ、路面に腰を下ろして髭を剃っている新議員の姿であった。今の若者の習性か、人の面前また、公共の場所(門前)で髭を剃る行為が平然と、然も自分がテレビに撮影されている事を承知の上でやっているとは呆れたものである。これが選良と思うと情けなくなる。横に座していた女性新議員も撮影中おなじ姿勢をとり続けていた。化粧直しをしていなかったのが、せめてもの救いであった。

(常識的には時と場所・身分を考えて立ち上がるべきだったと思う)

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久し振りの夕食会

 暑い盛り、納涼をかね、メル友が集まって夕食会をひらいた。

 酒の肴など特別に用意することなく、夕食のオカズを酒の肴にして一杯やるのが通例である。

 強いて酒の肴といえば、口の減らない仲間同士の饒舌である。たわいもない話が4時間近く続いた。

 普段ならあまり口にしない単語も飛び出すこともあるが、そこはそれ、日頃の教養が邪魔をして、紙一重のところでストップ。

 何をいっても、悪意のないことをお互いが理解しているから、すべて和気藹々として時間が過ぎてゆく。

 年寄りにとっては慰問会をして貰っている様なもので、寿命が延びる思いがする。

 感謝、感謝である。

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 ついでに年寄りの口煩いのもお許しあれ。そんなに遠くない将来、永遠に静かになる時がきますから。

 我々年代の者の「数年」は5,6年と承知していたが、今は「数年」とは「2,3年」のことだそうだ。何れにしろ、そんなに遠いことではない。

  例えば線香花火が、終焉間際にいっとき火花が大きくなる様なものとご承知くだされ、暫くの間、ご容赦のほどを。

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.戦争映画

 先に断っておくが、何百か、何千かわからないが、輸送船にのせられ兵隊が魚雷攻撃にあって、一瞬の内に海の藻屑と化した状況を連夜、目のあたりにしてきた者にとっては、戦争映画など余りにも切実過ぎて、見る気はしない。

 一秒後には自分が乗っている船が同じ運命になるかも知れない。こんな切迫した状態に置かれた者しか、実感として理解できない事であるから、敢えてこの感情に対しの同意は求めない。

997cd451_1  ヴィンティジで今日「硫黄島からの便り」の映画会がある。小さな島の守備隊が数十倍の物量をもって攻撃してくる敵を、飲まず、食わずで数ヶ月も戦ったことを物語的に映像化したものである。

 映画を見た者が何れも口をそろえて「悲惨だ。むごい」などというが、それはあくまでも第3者としての感想である。

 第3者としての感想が悪いというのでは決してない。実体験できないことであるから尤もなことである。

 だだ、「あんな事があったのか」と言うだけで済まさないで欲しいと言うだけである。

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